老化をコントロール可能な未来が来たとして私たちは寿命を延ばすべきなのか?

老化をコントロール可能な未来が来たとして私たちは寿命を延ばすべきなのか?


60歳の高齢者が20歳の若者に戻ることに匹敵する「若返り」がネズミによる実験で成功しており、人間に対しても加齢に対する遺伝子治療に成功したという報告が発表されています。
人を若返らせたり加齢を遅らせたりして、「老い」そのものを避けることで病気にならないようにする研究が近年加速していますが、その技術が現実のものとなったとして、本当に私たちは加齢を遅らせるべきなのか、寿命が延びるということは人類にとって何を意味しているのかをYouTubeの科学チャンネルKurzgesagtが問いかけています。

Why Age? Should We End Aging Forever? – YouTube


「何歳まで生きていたいですか?」と聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか?


5万年前、多くの人は20歳になるまでに死んでいましたが……


1万5000年前になると20歳以上生きることができる人が増えてきました。


現代では、多くの人が40歳以上まで生き、日本のように平均寿命が80歳を超える地域も存在します。
これは、人間が進化と共に周囲の環境のリソースを利用することを学んでいったためです。


人間はかつてないほどに健康で長寿になりましたが……


このことが予期せぬ事態をも生み出しました。
人生の多くの時期を病気であったり介護が必要な状態で生きていくことになったのです。


自分が病院で最後を迎えるという事実はあなたを憂うつな気分にさせます。
しかし、あなたの家族は、もしかするとこの事実から逃れられるかもしれません。


病気を避ける方法として「予防」に勝るものはなく、優れた化学療法を編み出すよりも、人にタバコをやめさせる方がより多くの人を救えると言われています。


そして、上記のように「病気になる要因そのものをなくす」というアプローチから生まれたのが病気予防としての「老化そのものを避ける」というアイデアです。


「加齢」は生物学的なものではなく、物理学的なものです。
車も使用しているうちに金属がさびつき、フィルターはボロボロになり、タイヤにはひびが入ります。


私たちの体も車と同様に、数兆個の小さな物理的プロセスによってすり減っていきます。


その原因は、酸素・太陽放射・代謝などさまざま。


もちろん、私たちの体には、これらの影響から回復するための機能が備わっていますが、時間の経過とともにその効果は小さくなっていきます。


ゆえに、筋肉や骨は弱くなり、肌にはしみができ、免疫システムも弱体化し、記憶がなくなり、意識が徐々に薄れていきます。


「高齢だから死ぬ」のではなく、私たちは車と同様に「体の重要なパーツが壊れて死ぬ」のです。
年をとるにつれ体がもろくダメージを受けやすくなり、ある時1つもしくは複数の病に体を乗っ取られて殺されるわけです。


あまり知られていないことですが、寿命を延ばすことを目的とした研究は、近年、驚くほどに進歩を遂げています。
研究によって老化の背後にあるメカニズムや、そのメカニズムが人間をどう操作しているのかが明らかになり……


老化が「謎が多く避けることができないもの」ではなくなりました。
そして、近いうちに老化そのものを遅らせたり止めたりできるのではないかと見られています。


老化を遅らせるというプロセスがどのようにして可能になるのかという技術の面はもちろん重要ですが、もう1つの要素として重要なのは、「技術的に可能だとして、老化は遅らせたり止まらせたりすべきものなのか?」という問題です。


人が生まれ、成長し、死んでいくという過程は自然なことであり、これまでの歴史において「年を取っていく」ということはよいこととして捉えられていました。


誕生日を祝うという習慣も「年を取るのはよいことだ」という発想から生まれています。
アメリカで退職後・老後のことをゴールデンイヤーと呼ぶのも、この発想から来ています。


しかし、現実では、「年を取ること」は受け入れられても「老いること」は求められていないのです。


数千年前の時代から、人々は既に「死なないこと」を恐れていました。
ギリシャ神話に登場するティートーノスは女神エーオースの恋人でした。
エーオースは全知全能の存在・ゼウスにティートーノスの不死を願い、2人は生涯を共にしたのですが、エーオースがゼウスに「ティートーノスの永遠の若さ」を願わなかったためティートーノスは年を取り続け、数百年後には意識を残したままにぶどうの粒ほどになってしまったという話があります。


一方で、もしあなたが既に年を取りすぎているならば加齢を止めても体が既にダメージを受けすぎているので数年後には死んでしまいますが、加齢を止めることは、必ずしも肉体が弱くなり続けることを意味していません。


「寿命を伸ばす」というコンセプトは病気をなくし、寿命の限界を打破することを意味しますが、その方法は現時点では確立されていないためです。
もし人間が健康な状態を維持したまま平均寿命を120歳にまでできたとしたらどうでしょうか。


可能か不可能かはひとまず置いておいて、上記のようなことが実現できるとたら、私たちは寿命を延ばすべきなのでしょうか?


この場合、「寿命を延ばす」という行為は、医師が行う延命行為の延長線上に存在するものになります。


2017年現在、加齢によってもたらされる病気をケアするために多くの医療費が費やされています。
人が一生のうちに支払う医療費の半分は老年期に支払われるものです。
つまり、寿命を延ばすというプロセスは、単純に、我々が行っている「薬によって治療する」という方法の効果的な代替案として捉えることもできるのです。


加齢を止めるということは、心臓移植やがん治療、ワクチンなどに比べればナチュラルなことだとも見ることができます。


現代の人間の生活に「ナチュラルなもの」はほとんどなく、しかしそれゆえに私たちは高い生活水準を維持することが可能です。


そうであるならば、私たちが今やっていることは、機械が壊れて手遅れになるまでただ待ち、壊れた後に大量のリソースを使って壊れ続ける車を修理をしようとしているのに過ぎないのでは、とKurzgesagt。


多くの人は「自分はある年齢になったら死ぬ」と考えているため、「寿命を延ばす」ということは人類の思い上がりのように思え、「永遠に死を避ける」というアイデアに対して当惑します。


しかし、生理学的な加齢の終わりは、死の終わりを意味することとは異なります。


子どものころ、夏の夕方に外で遊んでいる時に母親が「家に入りなさい」と言うと、「もっと遊びたい」と思ったはず。
永遠に外で遊ぶことはできませんが、少なくとも疲れて寝てしまうまで、少しでも外にいたいと考えたはず。
「寿命を延ばす」というプロセスは、それに近いことなのです。


病が無くなった世界で、あなたやあなたの愛する人が健康なまま100歳・200歳まで生きられるとしたら、我々はどのように変化するでしょうか?


もっと自分が長生きすると知っていたら、地球環境をよくすることについて考えるかもしれません。
もし150年間働くことになると知っていたら得意なことを生かす方法について考え、学習にもっと時間を割ける可能性もあります。
私たちが感じている喜びやストレスは、どこかに消え去ってしまう可能性も、逆に悪化してしまうことも考えられます。


「寿命を伸ばす」というアイデアが現実のものとなってきた現代において、もし健康なまま家族や友人と一緒に過ごしつつ長生きできるとしたら、自分は何歳まで生きたいのか?ということを一度しっかりと考える必要があります。

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